我がサークル生命、尽きるとも
- 奥田ゾンダーランド
- 2020年7月3日
- 読了時間: 7分
私は大学入学して間もない頃。
サークルに5つ所属していた。
それを2年足らずで0にしてしまったお話をしよう。
1.オカルト研究会
これに関しては以前書いた記事を読んでいただきたい。もう語りたくない。

オカルト研究会の副会長平山と駅で今後のサークル生活のビジョンを語っていた時に偶然撮れた写真。
「電車と電車の間って異世界への玄関っぽくね?」とオカルトトークで盛り上がってたあの頃が懐かしい(涙) まだオカルト研究会の闇タケハッチが牙をむく前だったためオカルト研究会にも希望を抱いていた。
2.放送研究会
これに関しても別の回で話したい。かなりの長丁場になる。得られたものもあったが、醜い思い出もたくさんある。1番深入りしたサークルで2年の途中まで続けたが辞めた。
3. 映画研究会
4.卓球研究会 TOC
5.図書館サークル
こんなとこだ。
大学入った時は全てがワクワクだった。
同化政策の渦であった高校から抜け出し、同じ趣味の自由人達と好きなことをやれるサークルはパライソだと思ってた。
気合を入れて新歓ブースに突入。
軽音や漫画研究会を先に覗いた。
音楽が好きでピアノができ、ドラムも一応経験がある自分には合ってると思い軽音の部室へ。
そこには同じ1年生もいたが、
パンチパーマでDQN被れの「ジャギの手下」的なやつと高校時代軽音で熟練者ぶっていたやつがいた。
ジャギの手下:「モテてーっす。楽器はやったことないっす。先輩楽単あったら教えてくださいよww」
自称熟練者:「俺、高校時代文化祭でビートルズのドラム叩いたし。ま、もっと自分を極めたい感じ?」
一度うぬは北斗神拳で脳みそ吹っ飛ばされろ
スレイヤーくらい叩けるようになってからものを言いやがれチンコスターが
とこんな感じに同期のやつらに嫌気がさし、速攻で見切りをつけた。先輩も良い人っぽかったが、パッとみ、音楽を愛してる人はいなかった。人生哲学を感じられず、4年の思い出を埋めるためだけの薄っぺらさを感じた。
まあ、サークルなんてどこもそんなものか。
漫画研究会は夢でもあった。
「江戸川珍歩は描く語りき」でも語っているが私は小学校低学年から漫画を描いている。
小学校時代には漫画イラストクラブに入っていた。しかしそこで描いた、ヨッシーが口から大量のゲロを吐き、そのゲロの中にあらゆる雑貨が混じっている幻想的な絵が顧問の先生から不評で干された悲しい思い出がある。
中学時代は吹奏楽を選んだ。中学もイラスト部も気になってはいたが、ゼルダの伝説のリーデッドまみれ城下町みたいな雰囲気が漂っていたので選択肢から切った。例えがわかりづらいな笑 闇を感じたということだ。
高校時代は卓球部を選んだ。男子で漫画イラスト部に入るのは自らカーストの最底辺に行くようなもの、というあのクソ高校の世論に飲まれてしまいまたしても機を逃した。
9年越しに漫画という創作の世界に入れる!とワクワクして部室に入るとロケランみたいな顎をした眼鏡のおにいさんが座っていた。周りには熱心に絵を描く女性方。
ロケラン:「ぃよぅこそ。ぼくたちはこんなもんを描いているんだよ」と冊子を渡してくれた。
冊子をめくると、人生で500万回くらいはみてきた似たような魔法少女の絵がズラリ。
ほお、ま、どこもこんな感じよね。
ふんふんとページをめくっているとロケランが語りかけてきた。
「君の描く絵もみてみたいな。あ!そうだ。あと1万2000円を徴収するよ!いろいろうちはかかってね。その分楽しさも」
「うっ。急に腹の調子が。。失礼します。」
即座に退室し、私がその部室に来ることは2度となかった。
出家代かよ畜生。まあ、、サークルなんてどこもそんなもんか。
秋に開催された学園祭で漫画イラスト部も展示会をやっていた。そこで自由にお絵描きしていいコーナーがあったので


Comments