廃墟探訪episode25 奥多摩寮他
- 奥田ゾンダーランド
- 2021年8月22日
- 読了時間: 3分
更新日:2021年8月23日
我らはバスで奥多摩湖手前まで行く。
奥多摩寮を目指す前に立ち寄りたい場所があったからだ!危険なDQNロードから上へと続く道。

そこを登ると、、

廃線発見!ここは6年前にポセと奥多摩ロープウェイに行った時に探せなかった獲物だ!6年の時を経てレベルアップした状態で忘れ物を狩りに行くこの感覚。まるでゲームのようだ。
勇気を振り絞り出口の見えないトンネルに入る。



一つトンネルを抜けるだけでなかなかに精神的な疲労が溜まる。この先も廃線は続くがこの辺で道路へ降りよう。メインディッシュはここではなくこの下にある奥多摩寮という廃墟なのだから!
運良く廃線から道路に降りられる階段があり、更に我らはその道路から下に伸びるやや危険な坂を下る。
そしてほとんど使われなくなった旧道に到着!

上の道路はあれほどうるさかったのにこちらは不気味なほど静かな中々に雰囲気のあるゴーストゾーンだ。

奥多摩寮発見 ここは廃墟界ではやや有名な廃墟らしい。



一体何の施設だったのか。
今度は正面玄関から失礼します



ここの住人の写真なのか?
家の一部は崖下に崩落している。危ない。。

間違いなく廃墟なのだが、、夜逃げでもしたのか?なんだこの所持品の残り具合は


廃墟までのアクセスもそこまで悪くなく知名度もあるのに、異様なまでに荒らされていない印象がある。謎が謎を呼ぶ。


少年ジャンプとエロ新聞。こういう残留物をみつけるとすぐに釘付けになってしまう。


か、感謝状!?

罠か、てくらい面白いというか怖いというか変な情報が転がり込んでくる。
この感謝状を読むと、ここの主人はどうやら近くにある白髭神社の建設に尽力しただとか。
今ではホームレスが住んでそうな雰囲気でもある。
変なことが起きる前に撤退!

今にも崩れ落ちそうな家だ。


共同風呂かな?
こちらは謎の建物。

帰ってから調べてみるとここは小河内ダム建設と同時期に建てられた1940年ごろに建造物であることがわかった。廃墟になったのは1987年ごろと言われており、江戸時代はここに三軒茶屋があったとされる。ということは最初に入った隣の建物は茶屋の跡か?などと考えてしまう。奥多摩寮という名前だが学生寮っぽさはなかったな。もしかすると倒壊している部分や恐ろしくて入れなかった箇所などが寮的な部屋だったのかもしれない。この廃墟の真実の鍵はここに住んでいた人物しかしらない感がロマンチックでたまらない。ここも近いうちに解体され、長い歴史に幕を閉じてしまうだろう。行けてよかった。廃墟探訪は世間的にはよろしくない行為だが自分のような来訪者が来てこうして記録することで、例えこの地が更地になっても、完全な忘却に歯止めをかけることができるのではないかと思えてしまう。
最近自分はこの世で一番怖いものものは「忘却されること」だと思っているので勝手にそう考えてしまうのかもしれない。

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